1940年にオリンピックが開催されるはずだったのに、戦争で1952年に延期。建物は1940年。 そのメインスタジアムです。僕の印象として、隣国であり、1917年にフィンランドが独立するまで属国であったロシア帝国で1910年から始まった、ロシア構成主義の影響を肌で感じました。建築のボリュームを構成する手法が、構成主義的なのです。カッコいいし、わかりやすいのです。
扇型に、あえて、エッジを見せて連続させたデザイン。飛び出したバルコニーがアクセントに。 パリの、J・ヌーベル設計の、ケ・プランリー美術館を思い出します。(という事は形態デザインとして70年間進歩がないと?というよりも、建築の見せ方の基本だと言ったほうがいいでしょうね)
柵を越えて勝手に入ったスタジアム。正面に今どきの電光掲示板。今は雪のために使用不可。
両ウイングにある、大屋根のスラブはかなり薄いです。
展望タワーの階段室を露出させているので、塔の単調さは避けられています。少し上手。
展望タワーから見た市街。南側の中心部。教会の尖塔などが見えます。この展望台は中心部からは3キロくらい離れている郊外なので、中心市街を見下ろすことはできないので残念です。
この建築の他にも、ヘルシンキには、いくつかのロシア構成主義や、ロシア・アヴャンギャルドと呼ばれた、建築の外観構成を見ることができます。
でしょう。ヴェニスン兄弟のようなデザイン。モスクワの、プラウダ本社ビルと似ていますね。
この塔屋のデザイン的扱いなど、そのまま。でも、今でもそのまま残されていることもすごいことだと思います。この商業建築は建築ガイドブックにも載っていません。
この建築もそうですね。プロポーションもそうだし、形で丸窓を使うところも、そのままロシア構成主義。僕は個人的に好きなので、うれしくて観るたびに構成を分析していました。デザインした建築家の気持ちになって。全体構成、上下の段階的構成、窓の配置構成、アクセントの置き方、線の出し方。例えばこの建築だけで、僕はすくなくとも1時間は説明することができます。かたちの構成は、自然のかたちの作法から始まって、モノを見る時の気持ちの動き、プロポーション、などなど多岐にわたった複合的な事。そんなことを、一所懸命、デザイナーは考えているんですね。
そして、塔屋部分の全体ボリュームとの関係付けも。縦、横、垂直面、水平面、その面毎の材料、色。まさしく、構成されています。この構成主義の建築は、無駄に最上部の屋上の屋根や壁が飛び出すことが特徴なのです。建築形態を、「形のおさまりの問題」として解いているので、どこかに機能的には無駄な部分が出現してしまうのですね。でも、デザインしている設計者の気持ちが良く読み解けるので、僕は好きです。
オリンピックスタジアムから、離れてしまいましたが、デザインすることを意図して行う行為は、おそらく人間だけがしている行為。ということは、身の周りにあるモノを整理整頓することから始まる、「デザインする行為」を行うことは、人間であることを証明する行為なのかもしれません。 (102)