コンクリートブロックという、見慣れた工業製品。ブロックは平滑に垂直に積んでいくことが「普通」ですが、人間が「積んでいく」という行為を表現したほうがいいのではないだろうか、と思います。現在の建設業界では工業製品を使わざるを得ないことは明白ですが、その基準化され大量生産された素材の、安くて頑丈で施工しやすくて、という価値判断基準ではない、使い方。
という考えに賛同してくれた、大学院2年生の野中君と学部2年生の太田君と共に、実際に積んでみました。基準面から、5ミリの前後の差をつけて、目地はないのですが、とりあえず積み上げ。
本当に単純な事なのに、感動するくらいの表情の豊かさ。
5ミリの前後では、コンクリートブロック内部の穴は連結しているので、鉄筋もモルタルも充填されていますから、構造的にも問題はないはず。(たぶん)
という作戦で、ガレージ+茶室をデザインしてみました。野中君と建築学科卒業生の、森健君が作成したCG。
手間がかかる=コストが上がる。それは、あたりまえの話です。このあたりまえの話を評価し直して、つくられていく建築の味、良さを見直していかなければならない時代だと思います。
この、コンクリートブロックの積み方、自賛ですが、世界に普及して欲しいと思っています。
「次は、前です。その右は基準で・・・。」とか、その場で感覚的に1つ1つのブロックの場所を決めていくだけなので、この作戦の工事の職人さんの手間は従来とそれほど変わらないと思います。ただし、建築家の仕事は増えます。でも、現場での積み木遊びのようで、アドホックな、楽しい時間になると確信します。今回やっていて、楽しかったから。完成したら、工事した皆さんでブロック達が生み出した表情を味わい、光と影と素材を鑑賞し、喜びを共有することができます。
日本の伝統建築では、大工さんや棟梁さんは、外部内部での造作が創り出す「景色」を大事にしていました。
one for all. all for one. 一つの存在がある事で、全体が形成されている。全体は一つ一つの積み上げで存在する。ラグビー精神と同じ。工業製品を使うのであれば、僕はその一つ一つを生かす使い方を考えていきたいと思います。
味気ないと思われているコンクリートブロックにも、「景色」を創る可能性はありますね。