オットー・ワーグナーは1896年に、「近代建築」と題する本を書き、その中では「芸術は必要のみに従う」という主張が軸になっています。1900年前後の世紀末の時代でそれまでのバロックやロココの優雅で甘美な様式スタイル・装飾から抜け出すための指針です。丁度世界は近代化の波の中。
リンケ・ヴィーンツァレ通りの集合住宅を2つ。1898‐99年.ワグナー 57歳の時の作品。
左側が、通称「マジョリカ・ハウス」。マジョリカ焼きのタイル模様で、花を表現。
右側は、画家・工芸家のデザインした金色の楕円形模様を壁面に使用。
この2つを見ると、「必要のない装飾してるじゃないの!」と思いますが、事実、当時のヨーロッパで広がっていた新しい様式である、アール・ヌーボーのデザインをワーグナーは好んでいました。過去の建築様式は否定しますが、まったく全面的な否定ではなく、過去の様式建築のエッセンスを、その時代にあった表現に変えていくべきだという主張なので、単に表面的な装飾を否定するものではありません。
カールス・プラッツ駅。1894‐98年。市電の駅でしたが、地下に潜った1981年からは使用されていませんでしたが、現在はカフェと美術館になっています。
アール・ヌーボーの有機的な植物的曲線と、幾何学模様が融合されています。
ウィーン分離派(セセッション)は、1897年に結成され、こうしたデザインが始まりました。
1898年の、分離派記念館。オルブリッヒ設計。上部に戴く球状のオブジェから付けられた、別名:「黄金のキャベツ」
分離派には、画家のグスタフ・クリムトもメンバーとして在籍したので、その影響もあるのでしょう。
シンプルで綺麗な手すり止め。鉄角材をひねっただけの、「面切り替え」デザイン。潔ぎ良いです。
関係ないですが、この記念館ショップで売っていた、セセッション・USBメモリースティック。
アルミニウムのダイキャスト製。中央を引き出して、反転させて、押し込んだら固定される美しいデザイン。ダイキャストの存在感が大きな一品。
さらに、ついでに、オルブリッヒの作品の中で僕が大好きで、1年に1回は学生達に見せる建築。
どこがいいのかと言うと、全体のフォルムは四角形で上部の端部に曲線を用いた左右対称形を用い、基部ではシンメトリーに四角形の形を入れながら、中央部分で、窓を2方向に廻り込ませてバランスを崩して、かつその崩した部分に時計を組み込んでいる点。この側面は垂直に窪んだ縦ラインの入れながら、完璧な面としての構成形に仕上がっています。人間は建築を2方向からしか見る事ができないので、その2面のバランスが取れているのです。各面それぞれが美しくて、2面を同時に見ても美しいこと。本当に上手だと思い、後輩として感服します。
ドイツ ダルムシュタットの芸術家村にある、「成婚記念塔」。結婚式で誓う際に、片手の指を伸ばして宣誓する形を模したタワー。1908年。この村の建築総責任者として赴任したのが32歳。1907年のドイツ工作連盟にも参加しましたが、残念ながら41歳の若さで他界しました
「成婚記念塔」に隣接する、エルンスト・ルートヴィヒ館。1901年。 話をウィーンに戻して、
ドナウ運河水門監視所。ワーグナー設計。1907年。対岸から見た姿。
1階はカフェ・レストランとして営業しています。天井のウィンチはそのまま残して。
店には数枚のワーグナーのドローイング。僕も50枚くらい、複製されたドローイングを持っていますが、1枚1枚が丁寧に描きこまれた「絵画」です。
青と白のタイル貼りの下は、大理石貼り。1枚に1つ、金属の鋲を打って、工業化した建築の持つ、規則正しいリズムを表現。たぶん。
1900年を超えると、ワーグナー先生 (ウィーン美術学校で建築の教員もしていました)は、植物的な有機的曲線への未練がなくなり、直線的、幾何学的な装飾にすこしづつ移行しています。