「最大の自由は、最大の厳格から生まれる。」という、詩人・思想家・批評家であるポール・ヴァレリーの言葉を、この建築を見るたびに思い出します。1968年。ミース・ファン・デル・ローエの作品。
シカゴのIITで見た、クラウン・ホールと同じく、内部に柱がない空間。
この日は、ホールでも企画展示が行われていました。こういう使い方を、ミースは考えたのですね。
正四角のグリッドで構成された天井=屋根構造体。グリッドの中に入るメッシュや照明も、正四角。
天井の梁の位置に合わせて、サッシの骨も立てられています。
毎年、入学してくる1年生への前期授業開始前の授業(?)で、ミースのビデオを見せて、「Less is more.」の言葉を考えてもらっていますが、それは建築には思想がある事を知って欲しいから。
天井もグリッドで、ダウンライト、ライティングレール、換気口、スピーカーなども、このルールの中で厳格におさめられています。
「建築と音楽は、数と数比を手段として、われわれに単に一つの物語を生むだけでなく、あらゆる物語をつくるような隠れた力を生むはずだ。」 これも、ポール・ヴァレリーの言葉。
デザイン領域の中で、もっとも縛られるルールや条件が多い建築デザイン。それゆえに表現の自由は、極めて大事な事。考えたアイデアの100分の1でも、実現できれば幸せと言われる所以。
この国立美術館の横には、その正反対の建築があります。
ベルリン・フィルハーモニー。ハンス・シャロウン設計で、1963年に竣工。
どの角度から見ても同じ、の反対で、見る角度によって、すべて異なる外観。
一つの物語だけではなく、あらゆる物語を生む力。いいかえると、その体験が、オープン・エンドになる建築。そのための手段として、ミースが用いた厳格な規則と、シャロウンが用いた自由な表現。 手段としては対極にありますが、結果としては2つの建築共に、たくさんの物語を語っています。
律する規則 vs 自由な表現。この2つは両極にありながら、クラインの壺のように、つながっていると思います。海の青さと空の青さのように。
その真ん中に位置するのが、バウハウスで見た、形態構成と素材を基礎とした建築デザインになるのでしょうか。W・グロピウスが考えたバウハウス教育プログラムは、今でも建築デザイン教育の 基本を教えてくれます。
「最大の自由は、最大の厳格から生まれる。」 やはり、いい言葉だと思います。 日本流に言えば、「型に入って、型を出る。」
実のところ僕自身、自由に時間を使う事ができたこの数ケ月のはじめの頃は、自分を律する事が 極端に突然に少なくなったので、精神分裂状態、自己喪失状態を経験しました。自由である事は、自分を失う事と 表裏一体だと実感してしまいました。まだまだ修行が足らないようです。
京都精華大学の建学理念は「自由自治」。よくこんな難解な言葉が選ばれたものだ、と感心します。
先生でも混乱されていらっしゃったんですね。
自由ってやっぱりすごくエネルギーがいるんだと思いました。
自立や責任、不安や怖さも伴いますし。
律することを知っているから自由とは何かがわかる。
自由であればあるほど、しっかりとした軸がないと何処かに飛んでいってしまう。
自由であることの喜びを知る前に、そのパワーに圧倒されてしまって動けない方が殆んどなんだと思います。
私は、そんな人たちと一緒に、自由であることの喜びと強さを体感して、一歩ずつ世界を拡げていきたい。
と思ってセラピストの道を選択したんだと、気付きました。
そんな風に思えるようになったのは、インテリアの仕事を通してクリエイティブすることの喜びと大切さと責任を知った経験からです。
恩師に感謝しております♪
軸は大切ですね。昔は40歳にして惑わず。と言いましたが、今はもう少し遅くなっているかもしれませんね。ベルリンでペーターさんの設計事務所で話していたら、ペーターさんは、「もう僕らは50歳のジジイだから、若い人にデザインをまかしたほうがいい」って言っていましたが。