バウハウスの初代校長、建築家 ワルター・グロピウス(1868-1940)設計の、私立バウハウス・デッサウの校舎。1926年。 デザイナーであれば、誰でも知っている、モダニズムを牽引した、バウハウスの校舎。
グロピウスは、ペーター・ベーレンス事務所で修行を積んだ後、ロシア構成主義やオランダのデ・スティルからの影響も受けて、建築のみならず家具を含めて、自身のデザインを展開し、生活の中に芸術はある、という主張のもとに、マイスター教育制度を取り入れながら、デザイン活動と教育活動を一体化して実践しました。彼は、1928年にハンネス・マイヤーに校長の椅子を譲りました。
バウハウスは1919年にドイツ帝国が崩壊した後の、ワイマール共和国に国立バウハウス・ワイマールとして設立され、1933年にナチスによって閉校するまでの、「たった14年間」の活動を行った教育機関。バウハウスが後世に与えた影響を考えると、凝縮した密度を持つ14年間だった事は疑いようもありません。
ベルリンから1時間に1本出る特急電車で90分。往復14.5ユーロ。安い。アメリカ、フィンランド、オーストリア、ノルウェーでは考えられない物価。 学生にとっては、安い方がいいので大歓迎です。 ベルリンからこの街に通学する事も可能で、そうしている学生も多いそうです。
裏側。正面と同じように、形の構成がしっかりデザインされているので、見ていて飽きません。
白い基本的な塊、付加した色が濃い部分(付加したから、上部は白い塊よりも下げてあります)、 1階部分と上階部分の切り離し(上階が出ている)、その1階の壁を延長して、塀に。 見事に上手です。お手本です。
右は居住棟。デザイン構成上でバルコニーが回り込ませてあります。 機能的な意味はあまりないけど、そう、したかったんですよね。わかります。
普通に見えていますが、やはり美しい。妻面のサッシは壁からあえて、出しています。
出入口のある部分は、上階も含めてデザイン。入口であることのアピール。大事な事。
居住棟のバルコニー。ユトレヒトにある、リートフェルトのシュレーダー邸を思い出す構成です。
踊り場。おそらく黄金比を使った窓割。日本の障子の桟とほぼ同じプロポーション。
このドアの球状の取っ手は、ドアを開くと横の壁の凹の球に入って、ドアを開けたままで固定されるというアイデア。脱帽。
カフェからは、企画展ギャラリーが見えるようになっています。この部分を名付けて、「マルセル・ブロイヤー ラウンジ」。 ブロイヤーがデザインした椅子が置いてあるだけですが。
ひいき目なのでしょうか、スイッチも電源プラグも、ドア取っ手もラジエターも、みんなデザインされているように思います。
機能的なものは美しい。というメッセージ。
特別に、ゲストハウスも見せてもらいました。1部屋 35~55ユーロで泊まれます。安いです。 次回もしも来る事があったら、必ず予約しましょう。
あの飛び出したバルコニーへ出ることができます。かなり怖いけど。ドアを開けているのは、ペーター・ルーゲ教授の設計事務所のスタッフで、アリソンさん。ベルリンから案内してもらいました。 彼女もここの大学の出身で、学生の時からの建築家ペーター教授の弟子です。
今でも開く排煙窓。
ショップにあった、合板製の折り畳み椅子。アイデア、いいですね。
大戦で、かなりの損傷を受けた建築ですが、戦後にオリジナルな状態に復元されて、当時のインテリア、家具、照明が再現されています。世界遺産です。
ここで学ぶことができる学生達は、本当に幸せでしょうね。デザイナーであれば、何回来ても、その都度、発見があるような予感がしました。