建築家 フランク・ロイド・ライトの自邸+事務所。ライトはプライベイトでは、波瀾万丈な人生を送った人です。この自宅はサリヴァン事務所から独立する前の22歳の時に結婚と同時にデザインした建築。若いのに大成していた事を感じない訳にはいきません。ライトは42歳で家庭も仕事も全て捨てて駆け落ちしたので、20年間は使っていた建築です。この正面は事務所の入口。
中庭から住宅に入ります。ガレージは今ではライト財団のショップになっています。その上には、かつての使用人さんの部屋がありました。今は管理するためのオフィスになっています。
上:事務所の入口。彫り込まれた事務所看板や列柱の鋳物の彫刻がデザイン精度の高さを予感させています。
左:シングル・スタイルという屋根や壁の仕上げ材の貼り方。下部のレンガ積み部分と窓の形の食い込ませ方が、すでにプロ級。
住宅の玄関を入ったホール。階段への目隠し格子スクリーンは造りつけの細工。
次の間の収納壁。収納家具の扉には見えないような、緻密なデザイン。22歳、恐るべしです。 彫り込み文字の文章も、ライトがつくった文言だそうです。 「真実こそ人生」。その信条があってこそ、住宅を設計したクライアントの奥様と駆け落ちしてしまったのでしょう。
その扉の裏にも彫刻の細工。収納したものを見せる時には、扉裏が見えるからでしょう。
玄関横の、ちょっとした来客との団らん室。京都の町家で言えば、見世(店)の次の玄関の間。
この部屋は、住居から事務所に行く通路。古い旅館の本館から露店風呂に行く廊下のような趣。完全に日本を意識しています。家の中には複数の日本の浮世絵などがあり、ライトの日本びいきがわかります。構造でない飾りの数寄屋っぽい、曲がり木が2本あります。見えにくいので、フラッシュをたくと、壁の意匠が天井に続いて、空間として一体感を出すことは、他のライト作品との共通点です。
個室。天井の形に特長を持たせて。ペンダントライトは、ガラス筒がワイヤーを巻かれて安定しているギリギリのデザインで、たいそう美しいと思います。
天井にあるステンド・ガラス。パソコンもコピー機もなかった時代でも、この精度。逆に、なかったからこそ、時間をかけてデザインの精度が上がっているのかもしれません。
子ども室が傑作。左のようなロフト付の部屋で、写真の左にピアノが置いてあります。どうしても、グランドピアノを置きたかったけど、部屋が狭くなる。という理由で、鍵盤部分以外を、右列の写真のように、隣接する階段室の上部に飛び出させています。部屋は納まっていますが、家中のスペースを利用するアクロバットですね。自邸がこんな大胆な事になっているとは今まで知りませんでした。やはり、ライトは、わが道を行く人、だったのだと確信しました。
6人もいた子ども達用の部屋には当時使われていた子ども用の木製ブロックも。デザイン情操教育がされていたようです。
壁付の照明器具もすべてオリジナル。アアルトに敗けていません。この照明は壁から跳ねだし。
さて、次にオフィスの部分。オフィスの玄関を入ると、暖炉。レリーフ大判タイルが4枚。続けて並べることを前提にしたデザイン。どこかの住宅の試作品でしょうか。(失礼ですね?)子どもが高層ビルと手をつないでいるデザイン。建築が好きで好きで、たまらない感じです。
施主やスタッフとの打ち合わせ室。8角形の部屋の壁に沿って収納が並んでいます。
でも収納家具の前には、さらに扉をつけて、プレゼンボードとして考えられています。収納家具の大きさと関係なく、はまっているので、初めは奥に収納がある事に気がつきませんでした。まあ、屏風みたいなものですね。でも、部屋の機能に応じた、「しつらえ」を、とことんデザインしていることがわかります。デザインすることへの執念。
スタッフの製図スペース。四角の部屋の中央部分は2階への吹き抜け。周囲の低い天井高さと合わせて、メリハリのある、飽きのこない空間に仕上がっています。
このように図面入れの機能をはたしています。一室空間の用途を、家具として間仕切りる機能性。あっぱれです。動く境界作成間仕切り装置。
シカゴは何度も火災の難にあってきたので、事務所には壁に金庫が埋め込まれています。
最後に、秘書の部屋。10畳くらい。秘書の机の背後には、美しいステンドグラス。後光が差して、さぞかし秘書女史の姿は気高く感じられることでしょう。
またしても、ステンドグラス。
僕は今まで、ライト先生の「オーガニック建築」って、結構コテコテな装飾のような気がしていて 好きにはなれませんでした。でも、このコテコテの自邸と、近所にあるユニティ教会や市内にあるロビー邸などを見て、少し考えが変わりました。自然光や色をコントロールし創造する事、部屋の雰囲気をつくる事、機能を満たす事など、まとめて言うと、「建築をデザインすることへの執念」が建築作品には込められていて、それがライト先生の生き方だったのだと感じました。
日本で東京の帝国ホテルの設計を任されながらもコテコテにやってしまい、工事予算が合わなくて着工することができず、完成の前に他界してしまった事実は、人生の本質は自分が思う事を貫くことにある。という姿勢そのものを示しているように思います。42歳という仕事をする上で最高な時に、順調な設計事務所と家族7人を捨てる勇気。社会から信頼を失い受ける悪評を覚悟して。「お山の大将」という言葉は、「裸の王様」のようなマイナスイメージとして、教育されていますが、人間は所詮、生き物なので、生きぬくための本能として、その素質を持っていると思います。まわりの環境に遠慮・配慮して生きていく姿勢の儒教的な拘束を守りながらの、そこからの脱出作戦も、人生の中で数回は勇気を持ってするべきなのかなあ・・・、とライト先生の生き方を肌で感じて考えました。
潔ぎ良いと言う事は簡単ですが、誰にでもできる事ではありません。
ライトのように、自分の好きな事、楽しいと思う事を、自分の仕事・生活としてやっていけることは最高の幸せだと思います。そう思う事ができない場合には、一体どうしたらいいのでしょうか。当たり前ですが、3つの選択枝があると思います。
1.今の仕事の中に、無理やりにでも自分の興味関心のある事を入れ込む。(結果として業界の新しい展開になるかも!)
2.今の仕事を辞める。(再出発。結果として残りの人生を意義あるものにできるかも!)
3.ダラダラ生きる。(これも幸せ。どうせ、30歳としても残りは30年。そのうちに面白い事に出逢う可能性もあり。ただし出逢うためには、日々ダラダラと生きていることを自覚していないとアンテナの感度は落ちるので要注意です!) HAYAMA