復活の礼拝堂、1941年。エリック・ブリュックマンの傑作と言われている建築。ブリュックマンは、アアルトが1927年に設計事務所を構えたトゥルクで、一緒にやっていた建築家です。この建築は「北欧ロマンチズムの頂点」と本に書かれているほどの建築。墓地の中にあり、火葬場機能も含んだ礼拝堂です。この墓地には、他に「聖十字の礼拝堂(1967年)」もありますが、そっちはもうひとつでした。
玄関ドアの横に飾られて石版のレリーフ。彫り込みの凹凸の繊細さが厚さは薄いのに奥行を出しています。
銅版のドア。70年の歴史。味が出ていてこの表情だけでも見てい飽きないです。
礼拝室の入ったところまで、玄関ホールの乱石貼りは続いています。微妙な段差。でも空間の意味は異なるので、この段差は空間の境界として大切。
礼拝室。この日は土曜日で、入れ替わり立ち替わりの葬儀ラッシュだったので、参加者の皆さんが入れ替わる数分間しか滞在できませんでした。左サイドの壁がゆっくりと空間を包み込んで、包み込んだ手の先、右側には、スッと低くて明るい空間を。じっくり味わいたい空間です。でも、
右壁の上の窓は、あと40センチ下げたところから始めて、もう少し小さなほうが、空間は生きると思います。正面の通路も、あと50センチ狭くしたほうが(椅子を右にずらすだけで)、空間は絞りこまれて引き締まると思います。右列柱の下にある献花台は、あと少しだけ柱の中央くらいまで右にずらしたほうが、右に動く空間の雰囲気をサポートできると思います。
(北欧ロマンチズムの頂点!、と絶賛されて世界中から建築視察団が訪れ、鑑賞されている中で、こんな勝手な解釈、余計なアドバイスする人間はいないでしょうね。)
パイプオルガン上部の正面左上の空間が全体の中で暗くなっています。正面と右側とのコントラスが生まれて空間を生きたものにしています。
右側列柱の高さと、左奥の祭壇が欠きとられた部分の天井高さは揃っています。また、その天井を支えている壁柱を祭壇の延長の直線を使いながら、仕上げを石にすることで、違う意味を生み出しています。よく、デザインしたなあ、と感心しました。かなり高い次元での形態構成のデザインであることは間違いありません。この解決方法以外に、どうすればいいか聞かれたとしたら、この壁柱を直系30センチの右柱よりも2まわり小さなもの3本にして、出隅から奥に配置することくらいでしょうか。 (誰も聞いてくれていませんが)
正面からの見返し。2階の手すり壁で木材を使って、水平に空間を切っている扱いは上手。
と、石貼りのからみ。お話台の上の屋根の木の板には、偏心した丸形から始まる放射状の模様。ここまでデザインした、ブリュックマンさん、偉いです。
床に見える並んだ小さな黒い点は穴ですが、ここから暖気が出ていると推測。
その部分の天井照明。すり鉢状に穿たれた穴に向けて光を。浮かび上がる円形。
左は外部の壁付照明。見える形が少なくてシンプルかつ、きれいなプロポーションです。
ということで、小さな空間ですが、さすがは、北欧ロマンチシズムの頂点といわれるほどの、光と影のアートのような空間と、密度の濃い空間構成でした。できあがった空間を見て感動したり、あれこれ言うことは簡単ですが、実際にこの空間を、何もないところから生み出した才能、苦労、プロセスは大変な事だったと思います。この空間は、建築家を目指す若者たちのために、後世に引き継いでいくべきものだと確信しました。 (104)
はじめてコメント差し上げます。
私はこの秋にフィンランド旅行を計画中です。
復活礼拝堂に行きたいので、あれこれ調べていてこちらを拝見いたしました。
もしも、ご存じてしたら教えて頂きたいのですが、礼拝堂はいつも開いている訳ではないのでしょうか。
葬儀など行われていれば、入れないこともあるのでしょうか。
ご存じの限りでかまいませんので、教えていただければ幸いです。
小川さま 葉山です。この礼拝堂は常に開いていると記憶しています。もしも開いていなければ事務室に行けばいいと思います。葬儀の最中でも入ることは可能ですが、悲しんでおられる親族を前にしては、私は写真を撮ることはためらいました。葬儀が終わってから写真を撮った次第です。
葉山さま
お答え頂き、ありがとうございます。
そうですね、葬儀の時はためらいますね。
ありがとうございました。