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建築モダニズムデザインの始まり

ウィーンの世紀末から、近代建築に移行していく時期は建築デザインにとって、思想的、表現的な意味で、とても大事な時期でした。建築家の系譜で見ると、

オットー・ワグナー(1841‐1918)は、古典主義一辺倒だった中で「ウィーン分離派」をおこして新しいデザインを追求しました。

ワグナーに学んだ、ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ(1867-1908)は、ウィーン分離派を共に推進し、後に、「ドイツ工作連盟(1907ー)」を立ち上げました。

オルブリッヒに学んだ、ペーター・ベーレンス(1868-1940)の建築設計事務所からは3人もの巨匠が誕生しました。

バウハウス創立者である、ワルター・グロピウス(1883-1969)と、ミース・ファン・デル・ローエ(1886‐1969)、ル・コルビジェ(1887‐1965)です。系譜は面白いです。1枚づつ彼らの代表作を見ておきます。(作品選出は僕の独断)

ワグナー  ウィーン中央郵便貯金局 1906年

5

オルブリッヒ ウィーン分離派記念館 1898年

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ベーレンス AEGタービン工場 1910年

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グロピウス バウハウスデッサウ校舎 1926年 (ブログ登場済)

2ミース ベルリン国立美術館新ギャラリー 1968年(ブログ登場済)

2

コルビジェ ユニテ・ダビタシオン(ベルリン) 1957年

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モダニズム建築の4大巨匠の中の3人を生んだ(もう1人は、フランク・ロイド・ライト)、ベーレンスの事務所って、当時、どのような雰囲気だったのでしょうか。行けることなら、行って観てみたいです。建築家教育がなされていた事は、間違いないでしょう。

「建築モダニズムデザインの始まり」というテーマは、何冊の本を書いても書ききれない内容ですが、極端にわかりやすく、オットー・ワーグナーを頭に持ってきて、その影響を受けた建築家系譜をかいつまむとしたら、こんな感じになるでしょう。 かなり、アバウト過ぎますが。

1928年から始まり、56年まで世界各国で11回開催された、CIAM(シアム 近代建築国際会議)は、グロピウス、ミース、コルビジェを含む世界の建築家24人で始まりました。この会議は、モダニズムの建築思想、デザインを世界に普及していく大きな役割と実績を担いました。

その意味で、ワグナーの建築家としての「曾孫」こあたる、この3人は建築モダニズムを形成した 最重要メンバーであったことには間違いありません。

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. 建築が環境を破壊するものであることは疑いようもありません。 一方、ある目的のためには、空間が必要であることも事実です。 犠牲にしてまでつくられる空間とは、一体どうあるべきなのでしょうか。空間の「質」は、広さだけの尺度で判断することは出来ません。単なる箱をつくるのではなく、空間のかたちや光、音、雰囲気など、人々にとって、記憶に残るような魅力を持つものを残していきたいと考えます。 次世代から現在の環境を預かっている、という立場に立ち、 建築・インテリア・家具・まちづくりのデザインを行います。

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