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建築を学ぶ という事-1

P1010055 - コピーヘルシンキ大聖堂。160年前の1852年に完成。多くの時間とお金がかけられた立派な建築を見ると、おお!すごい!と素直に感動してしまいます。時間と労力と大きさと空間への賞賛。

建築を学ぶ。大学進学・将来の進路を考える時に、この言葉が浮かんだ人は、きっと、「建築家になりたい」、「一級建築士になりたい」、「絶対に倒れない構造計算をしてみたい」、「住宅をデザインしたい」、「店のインテリアデザインをやってみたい」、というような、イメージを持たれた事でしょう。でも、実際に建築やインテリアの勉強を始めてみると、その学ぶことの多さに驚きます。前回伝えたように、建築デザインは、たとえ住宅や小さな店のインテリアであっても、たくさんの事を知って、数限りなくデザインの実践的な練習を重ねていかなければなりません。たくさんの身に付けるべき事があるということは(忙しいという事ですが)、普通に大学で勉強している人よりも、その道のプロに早く近づいている、という事でもあります。「しんどいけど楽しい!」と、多くの学生から耳にする言葉。大学で4年、社会に出て5年。早い人でも1人前になるためには10年はかかる仕事。そのかわり、人に喜んでもらえる、生涯かけてやりがいのある仕事です。

就職した会社が倒産しても、出産で仕事を一時的にやめても、デザインの経験と技術さえあれば、どこでも生きていくことのできる職業です。楽をして、お金をたくさんもらえるような仕事は、長く続くことはありません。20年後の自分のために、10年間頑張って欲しいと思います。

さて今回は、「建築を学ぶ」という話です。近年ようやく世界中で、「子ども達へ建築を教える」動きが高まってきました。高校や大学からでは遅いの?と思いますよね。どうして、子どもの頃から建築を学ぶ・教える必要があるのでしょうか?

この事について、今まで10年間ずっと考え続けてきた僕は(結構しつこいですね)、2つの理由があると思っています。

1つは、人間は誰でも家に住み、街に住んでいる構成員だから。家がないと生きていくことはできません。例えそれがダンボールでできていても家は家。その家で、気持ちよく過ごしていくための情報や知恵を知ることは大切な事。そして、家は動かないので街・環境に属します。自分の家が綺麗でも、周りがゴミばかりだったり、不安で危険な場所は嫌ですし、また、住んでいる街にある様々な建築や街の歴史を知ると、自分の街への愛着も増します。活気があってきれいな街、落ち着いた安心できる街をつくるのは、そこに住んでいる人達にしかできないので、街の事を誇りに大事に思うことが必要なわけです。

2つ目には、建築デザインには、豊かな感性と創造性が要求されるから。感性と創造性は、建築には絶対に不可欠な要素ですが、建築以外の仕事でも当然持っていたほうがいい人間の力です。つまり、クリエイティブな芸術系の情操教育(絵画教室、工作教室、料理教室、自然体験教室など)のエッセンスは、建築教育が包含していると言っても過言ではないと思います。(なんかどこかから怒られそうですが・・・)

以前、「子ども建築学校」で紹介した、「Architecture Toolkit」の中身を見てみましょう。ようやく翻訳しました。

フィンランドでは、アート・デザイン・建築教育が9歳から始まる義務教育に盛り込まれたので、どこの学校でも行うのですが、学校の先生すべてが芸術・デザイン・建築の領域を学んでいるわけではありません。この建築教育の中には、アートやデザイン教育のすべてを含ませています。「Architecture Toolkit」は、実際子どもへ行う授業活動の、目的・具体的内容・方法・道具・宿題がテーマ毎に書かれている、いわば先生への授業運営アドバイス・マニュアル本です。五感を見つめなおし研ぎ澄ますことから始まる興味深い内容。では、はじめの項目、「先生方へ」というメッセージを紹介します。

テキスト

“建築は、他の芸術形式よりもより豊かに、私達の直接的な知覚を誘い込む。建築を経験する事の中には、時間、光、影や透明度、色現象、テクスチャー、素材とディテールが含まれてる。(ジュハニ・パラスマ 1996:すまいの芸術)

環境は私たちの日常生活の重要な部分です。自然環境 (山と湖、森林と海岸、星に満ちた空と雨と雪) は、人間の存在と私達の生活様式の出発点として、さまざまな場所において、さまざまな状況を創造しています。

私達は、意識するかどうかにかかわらず、人工環境から平等に影響を受けています。建築は、よく知られた建築家によって設計された重要な建物だけの事ではなく、同時に、私たちの日々の環境と幸福に影響を及ぼすような形と空間の事でもあります。したがって、優れた建築とときめくような環境は、基本的人権として考えられるべきなのです。建築は物理的な環境をつくるだけではなく、人々がそれを経験し、自分たちの生活に影響を与える感情に影響を及ぼす問題でもあるのです。

建築は、私たちが目で見たものよりもはるかに多くの事を含む物であり、建築を視覚的なサインだけに限定して判断しては完全に理解することはできません。私たちが集中して、視覚だけではなく、触ったり、聞いたり、においをかいだり、味わったりすれば、日常の環境(空間、雰囲気、時間的な層、形と構造、表面と色、光と影)を、さらに価値があり豊かな経験として過ごすことができます。

人々が同じ場所で異なる体験をすることは、その時々の各人の経験や受けてきた教育、個人の興味や気分に左右されているからです。また、同じ人でも心の状態によって、異なる体験を同じ場所でもすることでもわかるように、場所の経験は一定ではないユニークなものです。

環境を経験することに、唯一正しい方法はありません。一人ひとりの経験を通して、より深く環境を学ぶことができ、基本的な建築要素を理解し、環境の質を評価することを学ぶことができます。今のこの場所の環境を私たちが楽しむことを促すような意識をつくるためには、私たちの感覚に基づいた環境を解釈する力が必要です。この力は私達が未来の良好な環境を創出するための議論に参加する支えとなり、何が環境に影響力を持っているのかを理解するために役立つものです。

 建築の経験は、人と環境との相互作用を含みます。子供たちは遊びや運動を通して、彼らの体全体で自分の環境を経験し、すべての感覚を使ってその場で自分自身にあわせる方法を持っています。建築教育の目的は、この子どもの資質を大事にする事や、環境に対する感性を持ち続ける事、環境への持続的な関心を創造する事、環境の構築に困難な事柄やプロセスに関するディスカッションをうながす事、物事に影響を与える自覚を目覚めさせる事です。建築教育の目標は、自分の経験と他人の経験との関係を考慮するだけでなく、議論を通した創造的な自分の表現や、自分で理解したことへの自己尊重心を成長させるような機会を作り出す事です。  (日本語訳文責:葉山)

ちょっとまだ訳が固いですが、ご容赦ください。このメッセージ以降は、13の項目でのアドバイスに繋がっていきます。例えば、感覚を澄ますために、目隠しをする、触る、においを嗅ぐ、音を絵に描くなど、さまざまな内容です。

1つ目は誰もがその必要性を言っていて実践しているので、僕が大事だと思う2つ目のまとめ。

感性:五感で物事や雰囲気を感じる力は、生きていく上で不可欠。まわりの空気を感じる事。研ぎ澄ますと第6感も起動するようになります。勘がいい人は五感をフル活用しています。

創造性:自分で純粋にオリジナルで新しい、時には変なストーリーや風景や現象を考える力。もしも、の世界を自由に創り出す能力。想像力・イマジネーション力。

協調性:相手の考えや周囲の現実状況を理解する力。自分なりに理解した上で、自分なりに調整した自分の考えを表現する力。

表現力:自分のアイデアやストーリーを、絵や形にする力。特に立体的な形・フォルムを造り出す能力は、物事を3次元で思考することができるようになるので、生きていく為の強力な武器。

この4つを小さな頃から、遊びながら楽しく行うのが、「子ども建築教育」。このまとめだけを見たら、文部科学省高等教育局(大学教育をチェックしている固くて難しい文章ばかり書いている部署)も喜びそうな内容でしょう。だからもちろん、大学生にも有効で、行わなければならない内容だと思います。大事な事は楽しみながら、遊びながら。でなければ集中力が続かないので、長続きしません。これは、6歳でも18歳でも51歳(僕もか)でも同じです。

芸術系の大学では、上記の感性と創造性と表現力を特に大切にしています。社会で生きていく上で、僕が最も大切だと思っている力。理由は、頭だけ少しばかり賢くなっても新しいこと、新しい建築は生まれないからです。(「本当に賢い人」は上記すべてが研ぎ澄まされていますが。)

今、書いていて、僕が教員になった頃に行っていた、ある「宿題」を思い出しました。授業終了後に、「帰りに石を一つ選んで拾って、その石とご飯の時もお風呂の時にも一緒に1週間過ごしてください。その感想を来週提出」。感想文は面白かったです。石になりきって詩を書いた学生、石をルーペで見て詳細にスケッチしてその模様と色に驚いた学生、石がどれくらいの衝撃で割れるか実験した学生、石を飾りとして部屋でディスプレイした学生、ずっと掌の中で握っていたら冷たかった石が暖かくなったことに素直に感動した学生・・・いい宿題だと思います。 では、来年、復活させましょう。

建築教育の内容は、半分は教養教育(基礎的なエンジニアと、アートを含んだリベラルアーツ)です。大学でゆっくりと学ぶ欧米では、建築を専攻したあとで、医者、弁護士、芸術家、都市計画家、という進路を進む人も多いし、逆に建築を後で学ぶというケースもあります。主専攻・副専攻であったり、ダブル・ディグリーという大学の学部を卒業した証明である、「学士資格」を2つ持つ人もいます。日本のように大学は4年間!という意識がないので、興味を持った学問を身に付けながら将来の仕事を決めていくスタイル。(そのかわりに大学に入ったら自立した個人として、学費は自分で稼いだり奨学金を借ります。) 半年間、1年間海外に留学するのは、大学生のうちにしかできないので、これからの国際社会で生きていく若い人はぜひとも留学することを視野に入れて欲しいことです。確実に人間として成長する事は保証します。

建築系の大学に入学したら、あちこちの領域から情報が入って来ます。全人格的、という言い方をしますが、デザインの仕事を受けるためには、その人の知識や経験に加えて、人間性を信用してもらわなければ、仕事が始まらない世界です。逆に経験が浅くても、人間性を認めてもらえば仕事が始まる場合もあります。では、人間性って、どこで学ぶの?

それは、家族をはじめとして出逢った人達から、自分が自分で感じた事からでしょうね。

本当に奥が深くて面白い世界です。 (70 クリスマスイブの夜に)

 

 

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. 建築が環境を破壊するものであることは疑いようもありません。 一方、ある目的のためには、空間が必要であることも事実です。 犠牲にしてまでつくられる空間とは、一体どうあるべきなのでしょうか。空間の「質」は、広さだけの尺度で判断することは出来ません。単なる箱をつくるのではなく、空間のかたちや光、音、雰囲気など、人々にとって、記憶に残るような魅力を持つものを残していきたいと考えます。 次世代から現在の環境を預かっている、という立場に立ち、 建築・インテリア・家具・まちづくりのデザインを行います。

建築を学ぶ という事-1 への2件のフィードバック

  1. 粟野陽 says:

    体中を電撃が走った様でした!とても読んで喜びに繋がる内容でした!本当に本当にありがとうございました。僕は大阪大学で学ぶ建築4回生です。感覚的に「嬉しかったり懐かしかったり落ち着いたり快い雰囲気の作られる要因を理解し、それをふくむ建築や環境を作りたい」と思って建築を学んできましたが、建築史や様々な思想を皆が積極的に学ぼうとする中、自分は頭では勉強せねばと思いつつも、何となく言葉ばかりが先行して実態の伴わないことばかり有名な方々も言っているのではないかと感じて、その感覚に慣れ自分もそうなるのを恐れることもあって、勉強せずにいました。当初の気持ちを忘れ建築を勉強する意欲も失いつつありました。しかし、今日この記事を読ませて頂き、あぁそうだ、僕が勉強したかったのはまさにこれだ!これが建築なんだ!と思い希望に胸が満ちています。建築史も思想も、影響を与える環境の要因を知ることが出来るためにあるのならば、幸福につながる人工物や自然を整えるためにあるのならば、喜んで学びます。一方で、感覚を研ぎ澄ますこと、豊かにすること、そして表現する練習、感覚するだろうと推測して表現しそれが実際にそうなっているようになる練習も積みたいと思いました。他者のそれと自分のものが違っていても、それぞれ学べるということにも驚き、そして安堵しました。そのように言ってもらえると迷わずすべき勉強に進めます。ありがとうございます。

  2. school-a says:

    栗野さん コメントをありがとうございます。私の気持ちや考えが伝わったようで嬉しく思います。でこかで会えたらいいですね!ケイカ建築学科は京都にあるので遠いかもしれませんが、機会があればぜひに! http://arc.kyoto-seika.ac.jp/

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